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INTERVIEW インタビュー

(02-04)

植田益朗の「GUNDAM LAST SHOUTING」

(2022.12.23)
第二回
ガンダム破壊命令

―――本インタビュー「植田益朗のGUNDAM LAST SHOUTING」は、『機動戦士ガンダム』(1979)から『∀ガンダム』(1999)に至るまでの約20年間、様々なガンダム作品を手掛けられたアニメプロデューサー/ANIMUSE館長の植田益朗さんに、当時制作進行として携わられていた『機動戦士ガンダム』について様々な観点から語っていただくコーナーです。

植田益朗(以下、植田):はい、どうぞよろしくお願いします。

―――なお、収録にあたっては上井草駅前のレストラン・AOYAGI(https://aoyagi-cafe-restaurant.com/)さんにご協力いただいています。植田さんは「上井草聖地化計画」という企画をお考えのようで、そちらにも今後御期待いただけたらと思います。

――前回の第1話に続き、今回はTV版『機動戦士ガンダム』の第2話「ガンダム破壊命令」を改めてご覧いただいたということですが、いかがでしたか?

植田:第1話の時にも触れましたが、1、2話で主要な登場人物がだいたい登場していて、その後のシリーズを支えていく上での構成の巧みさが印象的でしたね。

――アムロの描写と並行してミライさんやリュウさん、カイさんなど他の主要キャラクターが印象的に描かれていますよね。第2話の終わりにそれら全員がホワイトベースのブリッジで一堂に会するのも、綺麗な構成だと思います。

植田:そういった構成の妙に加えて、シャアやジオン軍という存在を印象的に描いていること。モビルスーツ同士のアクションを主人公とライバルという構図の中で見せつつ、主人公は素人パイロット、片やスーパーエリートパイロットのシャアがいて、でも最強のモビルスーツであるガンダムを持っているからこそなんとか対峙できる、という見せ方のバランス。さらにそこに生身の人間を撃てないアムロという、キャラクターの人間性が一発で分かる表現。などなど、上手いなあと目を引くポイントがたくさんありました。

――アムロはシャアやジオン兵が生身の時はまともに撃てないけど、モビルスーツに乗っている相手なら「人間じゃない」と判断して撃てちゃうんですよね。

植田:何かを介してしまえば人は残酷なことができてしまう、という、ある意味では戦争の本質的なところですよね。この後もランバ・ラルとの戦いなどで繰り返し描かれることになるわけですが、戦いの中で人間というものを知っていく、ということが描かれていますよね。それはシンプルにすごいなあと思いましたね。
おまけにね、シャアとセイラをこの時点でもう会わせちゃっている、という(笑)。今回見返してて「あらっ? 2話でもうこれ入ってたんだ」と、ちょっとびっくりしました。

――もっと遅い印象でしたか?

植田:物語初期にあのシチュエーションがあるってことは分かってるんだけど、2話というのはそれにしても早いなあ、と。「おいおいおい、ここでもうちゃんと布石を打ってるよ」みたいなね。キャラクターの置き方が用意周到だし、絡ませ方が上手いよね。そのちょっと前の、カイ・シデンをひっぱたくところとかもね(笑)。

――あのシーン、今の視点で改めて見ると、ちょっと唐突な印象を受けたんですよね。

植田:そんなことないですよ、セイラさんのキャラクターを描けてるじゃないですか。

――女の人たちが軍隊に協力して人命救助をしているというのに、カイは男のくせに逃げようとしている。男なんだから行けよ! ということですよね。

植田:そうそうそう。軟弱者だし、あなたのような人がいるからどうのこうのって、セイラさんに説教までされてるからね(笑)。

――確かに、あのやり取りでセイラさんもカイさんもキャラが立つし、この後にシャアと出会った時のシャアの「アルテイシアにしては強すぎる」という印象も説得力が増しますね。

植田:いやあ、すごいなあ、本当に。次の回が楽しみになってきました(笑)。
それともう1つ、見直していて何を感じたかというと、亡くなってる声優さんがたくさんいるんだな、ということですよね。

――ああ、確かに。セイラさん役の井上瑤さん、ブライトさん役の鈴置洋孝さん

植田:白石(冬美)さん永井(一郎)さんもだよね。2話までのメインどころだけでも結構亡くなっているなあということを実感して、ちょっとしんみりしちゃいましたね。

――そうですね……ちなみに当時、植田さんはキャストのみなさんとの接点はあったんでしょうか?

植田:アフレコにはほとんど行けなかったですね。時間がなかったというか、もし制作進行がアフレコなんかに行ってたら「お前何してんだ?そんなところで時間を潰すな!」と言われたでしょうね(笑)。一度収録が始まれば約5時間はスタジオの出入りはできませんから、行くと半日はそこにいなきゃいけなくなりますからね。
僕がTVシリーズで最後に担当したのが第41話の「光る宇宙」なんですが、最後のアフレコにだけは行ったような気がする……アフレコ用のフィルムを届けるためにスタジオまで行ったりしたことは何回かあったと思うのですが、アフレコ自体に参加したのはその時くらいだったと思います。劇場版の時になると僕の立場も変わっているので、アフレコにも参加しましたけどね。

植田青年の尊敬する上司と、『ガンダム』以降のアニメ界のうねり

――当時、植田さんは制作進行という立場だったわけですが、先輩や同僚、直属の上司など、どういうチームで働かれていたんでしょうか。

植田:制作チームは、アシスタントプロデューサーの神田(豊)さんと制作の4人。第1話担当の豊住(政弘)さん、第2話担当の草刈(忠良)さん、第3話担当の望月(真人)さんだね。それに制作事務の、高千穂遙さんの奥さん。(渋江靖夫)プロデューサーは現場にはほとんどいなかったな。

――中でも印象に残っている方といえばどなたでしょう? やはり直属の上司になる神田さんでしょうか?

植田:神田さんだろうね。僕は神田さんという人のことを本当に尊敬していて、その人がいたからこそTVシリーズの『ガンダム』を最後までやれたんだと思っています。やっぱり途中で辞めようかなと思ったりもしたんですよ。

――植田さんにもそんな瞬間があったんですね。

植田:途中で「面倒くさいししんどいな、辞めようかな」と思って、神田さんに相談しに行ったんですよ。そしたら「せっかく作品に関わったんだからさ、作品が終わるまでは最後までいて、もしその時に辞めたかったら辞めればいいんじゃない?」って言われて、「それはそうだな。関わった仕事を最後までやらずに途中で辞めるのも中途半端だな」と思い直したんです。まあ、神田さんとしては途中で辞められたら困るってこともあったんだろうけどね。僕自身『ガンダム』をやってる途中から、自分がやってる仕事が何だかすごいことなんだなという風にも思うようになっていったしね。それでTV版を最後までやり遂げたら、その人が辞めちゃった(笑)。

――(笑)

植田:というか、みんな辞めた。終わった後、俺しか残ってないの(笑)。

――衝撃の展開ですね(笑)。それにしても、他の先輩たちも含めて尊敬する上司が急に辞めて、よくそのタイミングで「じゃあ俺も」って辞めませんでしたね。

植田:まあ、「え!?辞めんの!?」って思ったよね。ちょっとびっくりした。

――ちなみに神田さんはその後はどうされたんでしょう?

植田:別の制作会社に移られましたね。神田さんは元々虫プロ出身で、ロボットアニメのようなものはあまり作りたくなかった人なんですよ。もう少し低年齢の子供に向けたアニメを作りたいと思っていたんだけど、虫プロがつぶれて、サンライズに来たわけ。だからその後も同じく虫プロ出身の方がやっている別の制作会社に移られました。

――アニメ業界には残られたんですね。

植田:ある時期までは。でもその会社が続かなくて業界から離れられて、その後は元々の趣味だったカメラをやりながら幼稚園のバスの運転手になられたそうです。

――子供たちに与する、というよりご自身のやりたい方向に舵を切られたのかもしれませんね。その後のサンライズの作風を考えると、我慢して残っていても神田さんが作りたいような作品はしばらく作れなかったかもしれませんね。

植田:『ガンダム』は、業界にしても人にしてもいろんなことが切り替わる時期の作品だったし、作品自体もそういう作品だったと思うんだよね。『宇宙戦艦ヤマト』(1974)と『ガンダム』が現れたことで「こういうものがやりたい!」と思ったクリエイターがたくさん業界に入ってきたし、そんな彼らのある種オタク的な志向を反映して『超時空要塞マクロス』(1982)『新世紀エヴァンゲリオン』(1995)のような作品が生まれて、80年代から90年代のアニメのムーブメントができていった。ちょうど業界にとってもしんどい、というか、大変な変化の時期だったんです。だからその波に乗れない人や乗りたくない人、「こういうアニメーションを作りたかったんじゃないんだよな」という人もかなりいるわけです。

――アニメの歴史を俯瞰で見ると『ガンダム』以降に数々の名作アニメやクリエイターが現れて、アニメは表現としても産業としても飛躍したように感じられるのですが、その一方で神田さんと同じような思いで業界を去られた方も多いのかもしれませんね。

植田:そうだね。

(第3回へつづく)

取材・執筆:いしじまえいわ
撮影:成田剛
取材協力:Coffee& cafe restaurant AOYAGI(https://aoyagi-cafe-restaurant.com/
協力:株式会社バンダイナムコフィルムワークス
Ⓒ創通・サンライズ

INTERVIEW インタビュー

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植田益朗の「GUNDAM LAST SHOUTING」

語り:植田益朗
取材・執筆:いしじまえいわ
撮影:成田剛(UNAP)

植田益朗「ANIMUSE」館長が、アニメ人生のスタートである、1979年「機動戦士ガンダム」からサンライズ退社の1999年「∀ガンダム」プロデュースまでの20年間の「ガンダム」との関わりを、洗いざらい語り、叫びつくす注目のコーナー。
「機動戦士ガンダム」第一話から始まり、全ての関わったガンダム作品を見直し、そのエピソード、関わったスタッフ・戦士たちの思い出や、当時のスタジオの雰囲気や当時のアニメ業界の事を語りつくす。
「これを読まずしてガンダムファンを語ることなかれ!君は生きのびることが出来るか!?」(植田館長談)

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