INTERVIEW インタビュー
植田益朗の「GUNDAM LAST SHOUTING」
ルナツー脱出作戦
―――本インタビュー「植田益朗のGUNDAM LAST SHOUTING」は、『機動戦士ガンダム』(1979)から『∀ガンダム』(1999)に至るまでの約20年間、様々なガンダム作品を手掛けられたアニメプロデューサー/ANIMUSE館長の植田益朗さんに、当時制作進行として携わられていた『機動戦士ガンダム』の各話について様々な観点から語っていただくコーナーです。植田さん、どうぞよろしくお願いいたします。
植田益朗(以下、植田):今回も前回に引き続き杉並区上井草駅前にありますレストラン・AOYAGI(https://aoyagi-cafe-restaurant.com/)さんで収録をさせていただいています。みなさんご存知かと思いますが、杉並区上井草は『機動戦士ガンダム』が生まれた土地でございます。いわば聖地ということで、この場所からラストシャウティングさせていただきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。
―――今回は『ガンダム』TVシリーズ第4話「ルナツー脱出作戦」についてお話をいただこうと思います。改めてご覧いただいて、いかがでしたでしょうか?
植田:世の中には物分かりの悪い大人がいるんだ、という典型的なエピソードでしたね。いるよね、こういうヤツ(笑)。
―――ワッケイン指令、最初は非常に感じの悪い人物として出てきますね。
植田:最後はちょっと救いがあるというか、『パオロ艦長のお言葉に従います』って、いい面も見えるんだけどね。
―――地球連邦軍は単純な意味でホワイトベース隊やアムロたちの仲間、というわけでもないんだ、という話でしたね。銃も向けられるし拘束もされるし。
植田:味方の中にもさらに敵味方がいるし、ジオンの中にも敵味方がいて、いい人もいれば悪い人もいて、という世の中では当たり前の構造をちゃんと取り入れてますよね。それが巷で「ガンダムはすごい」と言われている理由の一つだと思います。
―――ライバル会社より自分の上司の方がめんどくさいってことは往々にしてありますもんね。
植田:そうそう。加えて、ホワイトベース隊とワッケイン指令の関係と同じものが、1話からのブライトとアムロの関係にも当てはまる。多重構造になってるよね。
とまあ、そういったお話的な流れもあるんだけど、第4話は絵的な点でもターニングポイントだよね。
―――と、いいますと?
植田:第4話は安彦さん以外の方、富沢(和雄)さんが初めて作監をやっている回なんです。僕も何回かお世話になった方なんだけど、この回の絵はやっぱり富沢さんの絵になってるというか、キャラクターの顔がちょっと違うなって感じる(笑)。
―――そうですね、アムロの顔とかが少し古風、といいますか。
植田:かわいらしい感じだよね。まあ、しょうがないんですよ。というのもアニメというのは段々絵が慣れてくるものなので、初めて描く人は当然安彦(良和)さんと同じ絵は描けないわけです。描きながら絵柄やキャラクターに慣れていくという部分もあるので。安彦さんがアニメーションディレクターとして全部見られれば一番いいんだけど、当時の制作体制では安彦さんが全部修正を入れるというのは不可能なので、やはりある程度各話の作画監督に任せないといけない。
でもまあ、この当時は、今考えたらよくこの人数でやってたなというくらいアニメーターが少なかったですよ。それこそクオリティの文句を言ってもしょうがねえな、というくらいに(笑)。
―――作画のクオリティコントロールは作り手側にとって様々な面で難しい問題なんですね。
植田:後に『シティーハンター』(1987)の時に特に実感したことなんだけど、1話の中での完成度とシリーズ全体としての完成度との関係があって。もちろん全体通して画のクオリティが変わらないのが理想的なんだけど、それができないときに――『ガンダム』の時もそうだったんじゃないかと思うんだけど――まず1話の中でバラバラにならず統一が取れているということが、番組を楽しんでもらうことを考えるといいんじゃないの、と思ったりするわけです。
―――シーン毎に作画のクオリティが違うと、いくら良くなっていたとしても「あれ、これ誰? さっきと同じ人?」と作品への集中力を削いでしまったり、物語上重要でないものが重要に見えてしまったりすることがありますね。
植田:『ガンダム』当時の僕はついさっきスタジオに初めて来てその辺をウロウロしているような状態でしたからそんなことは当然分からなかったですし、前回も言いましたけど緊張感の無い中で自分や作品のテンションをどう維持するか? みたいなことを考えていたわけですが、スタッフの間をつなぐ役割が制作進行だとすれば、そこでどういうコミュニケーションをとっていい形でつないでいくか、ということが制作進行の一番の仕事なんだな、ということがその後何となく分かっていったんです。
―――なるほど、制作さんのいいコミュニケーションによって1話の統一感も生まれるということですね。アニメの1話1話を1つの作品たらしめるためにも、制作進行は大きな役割を果たしているんですね。
植田:そうだね。まあこの辺りの3話や4話に関しては、劇場版ではばっさりカットされてるんだけどね。
―――劇場版でも一応ルナツーに寄ってはいますが、大きくカットされていますね。劇場版でのエピソードの取捨選択にはどういった基準があったんでしょうか?
植田:どのエピソードを使うかは基本的に監督が決めていたんですが、やはり劇場版にまとめるにあたってストーリー的にどうしても圧縮する必要がありますから、「この要素は他で置き換えられるからいいんじゃないか」という理由はあったでしょうね。
―――確かに、今回のエピソードの「味方の中にも敵はいる」といった構造や組織としての連邦軍の冷たさみたいな要素の表現は、他のエピソードでも代用が効きそうですね。
植田:あとは作画だよね。この辺はよくないから使うのはやめようか、みたいなこともあったと思います。どうしても必要な部分に限って安彦さんに直してもらった、というのが劇場版の1本目なんです。時間的にもコスト的にも非常に限られた制作体制でしたから、新規カットもあまり作れなかった。そういう状況の元、ストーリーと画とのバランスを見ながら富野さんがあのように選んだんだと思います。
期待の新人制作進行、登場前夜
植田:なんといってもこの4話は、エポックメイキングな話数なんです。
―――はい。それは何故でしょう?
植田:何故かというと、この4話の制作進行の方がサンライズを辞めるということが決まっていて、人が足りない。誰か補充をしなきゃいけない。でもサンライズはその当時、『サイボーグ009』(1979)、『ザ・ウルトラマン』(1979)、『科学冒険隊タンサー5』(1979)、『未来ロボ ダルタニアス』(1979)、それに『ガンダム』と、5本もアニメを作っていて、どこも進行が足らない。それで途中入社での制作進行大募集があって、4話の担当が本来やるべき8話の制作進行の枠にはまっていったのが、僕、というわけなんです。
―――なるほど(笑)、植田さんの業界デビューに関わる回だったんですね。スタッフリストを見ると確かに、第1話の制作の方が第5話も担当、第2話の方が第6話も担当という形で4話毎にそれぞれ同じ制作の方が付いていて、4話の次のローテーションになる第8話に「植田益朗」と記されていますね。
植田:ガデムが持ってきたザクみたいに補給されたのが僕だった、というわけです(笑)。
―――前の回ですね。
植田:しかもそのザク、この回でやられちゃうんだよね。
―――補充された2機、どちらも第4話でやられてますね(笑)。ところで第4話には制作進行として滝口雅彦さんという方がクレジットされているのですが、植田さんはお会いしたことは?
植田:1回くらいしか会ってないと思うんだよね。4話が完成するかしないかくらいのタイミングでスタジオに荷物を取りに来た、とか、そういう感じじゃなかったかな。
―――引継ぎがあったりとか仕事について手取り足取り教えてもらったとか、そういう感じではなかったんですね。
植田:アシスタントプロデューサーの神田豊さんが既に4話のフォローをしていたようなんです。で、次のローテーションになる8話も神田さんがやっていて作画の打合せや原画の回収はもう終わってて、僕がそれを引き継いで神田さんに色々教えてもらいながら8話を担当していく、という流れでした。だから仕事のやり方を教えていただいたのは神田さんからです。
―――ということは、クレジット上では8話が植田さんのデビュー作となっていますが、1話全部を担当したのはさらに次のローテーションになる第12話だった、というわけですね。
植田:丸々って意味では、そうだね。その辺りの詳しい話はまた第8話や第12話の時にお話ししましょう。植田益朗は、このスタジオで生き延びることができるか!?
(第5回へつづく)
取材・執筆:いしじまえいわ
撮影:成田剛
取材協力:Coffee& cafe restaurant AOYAGI(https://aoyagi-cafe-restaurant.com/)
協力:株式会社バンダイナムコフィルムワークス
Ⓒ創通・サンライズ
INTERVIEW インタビュー
語り:植田益朗
取材・執筆:いしじまえいわ
撮影:成田剛(UNAP)
「機動戦士ガンダム」第一話から始まり、全ての関わったガンダム作品を見直し、そのエピソード、関わったスタッフ・戦士たちの思い出や、当時のスタジオの雰囲気や当時のアニメ業界の事を語りつくす。
「これを読まずしてガンダムファンを語ることなかれ!君は生きのびることが出来るか!?」(植田館長談)