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INTERVIEW インタビュー

(05-06)

エモーション魂

(2023.03.10)
第三回
ポスト「ガンプラ」をめざして

念願の開発セクションに転属なった渡辺 繁。だが、その職務の内容は、なかなか彼の満足できる内容ではなかった。折しも、バンダイでは空前のガンプラブームが巻き起こっていた。「ガンプラに対抗できる企画はないものか……」渡辺は独自の調査を開始するのだった。

開発一年目、されど波高し

―――いよいよ、念願叶って、玩具開発に入るわけですね。最初はどんなお仕事をされたのですか?

渡辺:1982年3月に配転になりました。あの頃ですと、『宇宙刑事ギャバン』、『大戦隊ゴーグルV』、『ロボット8ちゃん』、女玩ですと『ミンキーモモ』、『うる星やつら』もあの頃ですね。

自分が最初に担当したのは、「くるくるテレビ」でした。8ミリフィルムの1分間の映像を手持ちカメラ型のビューワーで楽しむ映像玩具です。ビデオが家庭に普及していなかった頃には重宝がられたかもしれませんが、自分が担当したのは末期だったので、すでに本体はほとんど売れない時期で、細々とカセットを供給していたんです。

くるくるてれびのガンダムOp

―――音などは出たんですか?

渡辺:いいえ。サイレントです。電池式のモーター音がカラカラと響くだけです。当時の子供達は想像力で、それを補っていたんですね。

当時放映していた番組以外にも『ウルトラマン』のような定番もやりました。レッドキングと戦うんですが、1分間ぐらいしかないのであっという間です。長めの予告編を作る感覚ですね。

このフォーマットで『ガンダム』五部作というのもやりました。

―――五部作? 三部作ではなく?

渡辺:そう、五部作です。代表的なモビルスーツ戦だけをダイジェストにしたカセットだったんです。それを通して、『ガンダム』の全容も垣間見れるという野心的な企画だったんですが、惜しくも、あまり売れなくて、三作で終わってしまったんです。

あと『うる星やつら』の第1話のダイジェストもありましたね。これは押井守さんの監督作品です。その後のお付き合いを考えると、やはり不思議な縁(えにし)を感じますね。

玩具用の映像といえども、きちんとマスターフィルムまで作って、編集作業もするんですよ。思えば、この時点ですでに後のエモーションでの仕事の下地になっているんです。

くるくるてれびのガンダムEd

―――前に伺った、版権証紙の話(第1回参照)といい、ご本人も気づかないうちに、ノウハウが蓄積されていくわけですね。他にはどんなお仕事を?

渡辺:ポピーがリコーと組んだ「デチョンパ」というキャラクターの映像が液晶で動く子供向け腕時計を担当しました。腕時計の蓋にキャラクターの立体的な顔が付いていて、それを開けると液晶モジュールが見える。この蓋のキャラの彩色が、一部うまくいっていないものがあって、顔がいびつになっている。「これじゃマズイだろう。渡辺、チェックして来い」ということで、埼玉の奥地の彩色工場まで車を飛ばして行くわけですよ。で、作業しているおばちゃんに指導してくるんです。

宇宙刑事ギャバンのデチョンパ

―――なかなか苦難の道ですね。

渡辺:このままじゃ、いかん、と思いました。

「ガンプラ」ブームに怪獣復活で挑む

渡辺:しかも、当時、江戸通りを挟んだバンダイのホビー事業部では空前のガンプラブームですよ。まるで対岸のお祭を眺めているみたいでしたね。このブームをなんとかポピー流なロジックで再構成して、別の流れに出来ないかなあ、と模索していました。

当時のポピーのヒット商品の中に『キン肉マン』の消しゴム、通称「キン消し」がありました。文字通り、消しゴムサイズの人形が、町の自動販売機で買える。しかも、『キン肉マン』に登場する敵味方の超人が細かいバリエーションまで、ものすごいボリュームで販売されている。億単位の個数が売れていました。

これに匹敵するものは何かないか? その時、頭に浮かんだのが「怪獣」でした。

自分たちが慣れ親しんだキャラクターです。これも主人公ウルトラマンの敵役である怪獣たちがソフビ人形として大量に販売されていました。似てるな、と思いました。これはガンプラのジオン軍モビルスーツが人気だったことにも相通じています。

ウルトラ怪獣は、もちろん、ゴジラ他東宝怪獣、大映のガメラ、大魔神……バラエティさ、ユニークさから言っても、ガンダムやキン肉マンにも決して引けはとらない。

―――というか、こちらの方が先だぞ! ですよね。

渡辺:彼ら怪獣を総動員した演出が出来ないか? 子供はもちろん、マニアも含めた流れですね。「怪獣復活計画」のイメージが猛烈な勢いで頭の中を駆け巡りましたね。

そこで、独自に怪獣ブームを検証してみました。日本では、過去、怪獣ブームは3度起こっていたんですね。第一次ブームは、『ウルトラQ』や『ウルトラマン』『セブン』の1966年。第二次は、『帰ってきたウルトラマン』や『仮面ライダー』に代表される1970年代前半。そして、第三次は70年代後半から『ウルトラマン80』までですね。

各ブームでの他メーカーにおいてヒットした商品の分析、マスメディアの取り上げ方なども調べてみました。

このへんのアドバイスをしてくださったのが、メディアわんの土屋新太郎さんです。杉浦さんのブレインとして企画などに参加されることが多い方で、入社した頃からかわいがっていただきました。ポピーの近くに土屋さんのオフィスがあって、昼飯になると、そこに買ってきた弁当持っていって食べるんです。目的は、土屋さんが毎週エアチェックされているアニメや特撮番組でした。当時、ビデオは普及しはじめていたんですが、自分の経済状態では、とても買えるものではなかった。そこで土屋さんが資料で録画されているビデオを昼休みを使って研究したわけです。

「ナベ。『うる星』は要チェックだぞ」とか、いろいろ解説もしていただけるので、当時のキャラクターの動向を把握することができました。

―――昼飯時も無駄にはしないわけですね。

渡辺:あと、当時のバンダイ本社の食堂が不味かった(笑)。それに本社のお偉いさんもやって来たりするんで、落ち着いてメシなんか食べられないですよ。

『80』もそうなのですが、第三次怪獣ブームは、ポピーが商品展開していたんです。そこで、当時の販売データを探りに電算室へ潜り込みました。電算室と言っても、データ自体は、全部プリントアウトされたシートがファイルに綴じてあるだけです。それを、ノートにひとつひとつ書き写していくんですよ。地道なアナログ作業です。そのデータを元に売れ筋商品と販売層を分析してみました。

そこで出た結論は、第一次ブームの洗礼を受けた子供たちは、すでに社会人となり、現代の子供たちとは別のマーケットを構築している。

―――今では、よく聞く「親子2世代」キャラの先駆けですね。

渡辺:ええ。マニアから子供まで時間差展開で大きく増殖する可能性が見えたんです。それに過去のブームのサイクルからして、まもなく大きな復活期がやってくる、という確信もありました。

そんな仮説を企画書にまとめてみると、これはいける、やってみたいという気持ちが沸々と湧き上がってきました。

そこで、杉浦さんが一般社員よりも朝早く出社するのを知っていましたので、それを狙って企画書を渡そうと狙ったんです……。

 

「怪獣復活計画」を実現すべく、渡辺は当時常務であり、開発のボス・杉浦氏に直訴するという思い切った手段に出た! その結果は? 待て、次号!

【補足解説】

「くるくるテレビ」
1979年12月から発売を開始した人気シリーズ。8ミリ撮影機のようなボディーに、カートリッジ式のフィルムをはめ込み、ファインダーをのぞき込んで、握りのボタンを押すとモーターが駆動、動画を見ることが出来る。カセットは別売りで内部には1分間に編集されたアニメや特撮の名シーンの8ミリフィルムが入っている。
「『ガンダム』五部作」
ガンダムと敵モビルスーツの戦闘シーンを収録したシリーズ。全5作の予定だったが、売り上げが振るわず、3作で中断。ちなみに発売されたのは、「ガンダム大地に立つ」「ランバラル特攻」「追撃!トリプルドム」。未発売の2作は「光る宇宙」のゲルググ戦と最終回のジオング戦であった。
「デチョンパ」
1982年に発売された子供用液晶腕時計。液晶画面には時計とキャラクターのアニメーションが映し出される。談話中のキャラの顔が蓋になっているものの他、『ミンキーモモ』のペンダントや『大戦隊ゴーグルファイブ』のゴーグルブレスのように劇中のアイテムを模したものもある。特にゴーグルブレスは、その後の戦隊シリーズの変身アイテムの流れを作ったと言っても良い。
「キン消し」
ゆでたまご原作のマンガ『キン肉マン』が1983年にテレビアニメ化に伴い、小型の塩ビ人形が発売された。主役のキン肉マン他、敵味方の超人400種類以上が発売された。おもにガシャポンで発売されていたが、後にセット売りのパッケージものも登場、小学生などを中心に爆発的な人気を得た。あくまで塩ビ人形であり、消しゴムとしては使用できなかったようだ。
「怪獣ブーム」
談話中にあるとおり、1983年までの間に「怪獣ブーム」は三度存在した。
第一次怪獣ブーム(1966~67年):1966年の『ウルトラQ』に端を発する円谷プロのテレビ特撮シリーズ『ウルトラマン』(66年)、『ウルトラセブン』(67年)を中核とする。特に1967年はゴジラの東宝、ガメラの大映は言うに及ばず、東映、松竹、日活などが怪獣映画に参入してきた。
第二次怪獣ブーム(1971~74年):『Q』『マン』『セブン』の再放送で人気が再燃。新しい特撮ヒーローが切望される中、1971年『スペクトルマン』『帰ってきたウルトラマン』『仮面ライダー』などが続々登場。特に『仮面ライダー』の「変身」が人気を博し、別名「変身ブーム」とも呼ばれる。特撮ヒーロー番組が頻出した時期で、多い時には週に十数本が放映されていた。
第三次怪獣ブーム(1979~80年):阪神地区での『タロウ』などの再放送が呼び水となる。1979年、劇場作品『実相寺昭雄監督作品ウルトラマン』が公開され大ヒット。これによりアニメ版『ザ・ウルトラマン』(79年)、『ウルトラマン80』(80年)が放映される。他に『(新)仮面ライダー』も同時期に復活している。
「土屋新太郎」
杉浦幸昌氏のブレインとして様々な玩具企画に参画。静岡県にアンテナショップを持ち、独自のマーケティングデータを収集、分析、提供した。子供番組の副産物であった玩具をキャラクタービジネスへと変換していく原動力となった人物。著書に「キャラクタービジネス―その構造と戦略」(キネマ旬報社)がある。

(改稿20070217)

© SHIGERU WATANABE
無断改編や引用などを禁じます。

INTERVIEW インタビュー

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エモーション魂

語り:渡辺 繁
絵:大西 信之

バンダイビジュアルのレーベル「EMOTION」を作った男が、その軌跡と縁人を振り返る。世界初のOVA(オリジナル・ビデオ・アニメーション)『ダロス』、若きスタッフの結集した『王立宇宙軍 オネアミスの翼』などのアニメ作品の数々は、決して順風満帆に作られたわけではなかった。若き情熱溢れる映像ソフト産業の草創期からの話を月2回更新にて連載中。いつの時代になっても変わらない情熱。ここには確かなモノづくりのヒントがある。

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