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INTERVIEW インタビュー

(01-06)

エモーション魂

(2000.11.03)
プロローグ
モアイの謎〜EMOTIONレーベル創世記〜

過去バンダイビジュアル(株)(現(株)バンダイナムコフィルムワークス)にはいくつかのレーベルがあったが、19831121日にビデオソフトメーカーとして産声を上げた当初から続いて来たのは「EMOTION」レーベルだけである。

 

以来40年近くの時が経ち、ユーザーは勿論のこと、社内にもその成立、由来を知らない社員が大多数となった。「思えば遠くへ来たもんだ」である。そこでこの場を借りて、当時の記憶を紐ほどきつつ、レーベル創世記について述べてみたい。

 

 

1982年秋。六本木はロアビル近くのアネックスビルに、バンダイのフロンティア事業部が運営する店がオープンした。当時としては珍しい、ビデオショップ、コミックショップ、レストラン、フライトシュミレーター体験ルームなどが1つのビル内に混在する、マルチエンタテインメントショップであった。しかし、その表向きの華やかさとは裏腹に、収益の面ではさっぱり、という状況が慢性化していった。いわゆるアンテナショップの悲しさではあるが、事業部としての不採算は許されないとあって、より収益性の強いメーカー事業を付加することになった。

 

 

1983年当時自分はバンダイグループでキャラクターマーチャンダイジングを専門とした(株)バンダイ・ポピー事業部(前年、(株)バンダイは(株)ポピーなどグループ子会社を併合しており、(株)ポピーもその一事業部になっていた。)で、怪獣ブームの仕掛けプロジェクトを担当しており、その先駆商品とも言うべき「リアルホビー」なる商品群の開発の目途をつけ、それに続くユーザー拡大のための商品プランを練っていた。

 

ブームの起爆剤となるTVシリーズのオンエアも始まり、いよいよこれからだ、という19833月のある夜、自分は上司である村上克司部長(当時)らに呼ばれ突如辞令を貰った。

 

「六本木のフロンティア事業部が赤字続きで困っている。そこで、ビデオメーカー事業を起こす。ついては君に行って貰いたい」

 

これには当惑した。せっかくこれからブームにできそうな怪獣復活プロジェクトはどうするのか?全く未知の領域のビデオメーカーなどどうやって作ればいいのか?

 

立ち上げたブーム仕掛けへの未練、全うできない無念、そして未知なる領域へ立ち入らねばならぬ不安が交錯した。その時点で、自分はまだ入社して丸2年が経つ前だった。

 

 

そしてすぐ、まるで人さらいの様に異動先のフロンティア事業部の事業部長が自分を引き取りに来て以降、自分の六本木通いが始まった。徒手空拳、右も左も判らないビデオソフトの世界。唯一物心着いてから見てきた映画の知識のバックボーンはあったが、バンダイグループ誰一人として経験がない未知の旅の始まりであった。

 

 

1982年玩具開発の担当をはじめた当時、(株)ポピーの杉浦幸昌常務(その後(株)バンダイグループ会長)から、開発の心得として「売場に立つことが基本だ」と何度も聞かされた。「何も判らないならお客さんから聞け、学べ」。その時の自分にはそれしかないと思った。幸い六本木の店には、フロアが別々な形で、ビデオのセルショップ、レンタルショップ、そして出始めたばかりの新メディア、レーザーディスクの販売店があった。先行のメーカーの商品、アメリカからの新作ビデオの数々がそこには揃っていた。メーカー設立の準備をすすめながら、空いている時間、休日などに自分は各店の店長に頼んで店番をやらせて貰った。お客さんと生で接するいい機会だった。商品と、お客さんから有形、無形のものをだいぶ感じさせられた気がした。やはり基本は売場にあったのかも知れない。

 

 

事業部が赤字続きで資金がない中、手堅く事業を開始して利益を稼ぐには、ライセンス獲得によるビデオ化が最短の道であり、また他のメーカーがやらない、または出来ない領域を狙ったニッチな分野からやるべきであろうとも思った。

 

自分が六本木に異動となり、メーカーをはじめるにあたって、杉浦常務からは常務の長年のキャラクター商品展開から出来た人間関係により「魔法のプリンセス・ミンキーモモ」と「超時空要塞マクロス」の2つのTVシリーズのビデオ化権を手土産替わりに渡してもらっていた。

 

そこで、ここはひとつアニメと、特撮を中心にニッチな手堅いマーケットでこうしたライセンス獲得商品でメーカーのスタートをしようと考えはじめた。特撮を、というのは異動前のポピー時代に怪獣企画を担当していたせいもあり、作品知識のバックボーンがあって、市場への切り込み方をある程度わかっていたためである。

 

 

こうしてビデオメーカーとしての方針が決まると、自分は旧知のプロダクションをまわってビデオライセンスの獲得交渉に入った。幸い入社1年目の仕事がキャラクターの版権取得とその証紙管理の仕事だったおかげで、プロダクションの版権担当の方々とは顔ができていた。

 

そうした中で「ルパン三世」「未来少年コナン」などの宮崎駿さん関連作品、「怪奇大作戦」「マイティジャック」「快獣ブースカ」などの円谷プロ作品のライセンスを得ていった。

 

既存のメーカーのラインナップからすると揃えた作品群には物寂しいものがあったが、ともかく小さいながらも緒戦は戦えそうな気がしていた。(しかしながらいずれは資源がつきて戦えなくなる、という「山本五十六」の持った不安も感じていた)

 

 

中身が決まると今度はパッケージングの準備である。まず、レーベルマークのデザイン作業が始まった。

 

早い段階で名称は「EMOTION」と決まった。理由は単純であった。六本木のビデオショップ、レンタルショップの名前が「EMOTION」であり、メーカーも同じ「EMOTION」にしてしまえばいいじゃないか、という事業部長の発言だった。いい加減な、単純な、と自分は当初思いはしたが、お客様に感動を伝える仕事がソフトメーカーの仕事だとすれば、これはこれでいいじゃないか、と思い直す事にした。そして、この「EMOTION」のロゴデザインを決めれば、レーベルデザインは終わりと安易に思っていた。

 

 

広告代理店を通じて、何案かロゴデザインがあがってきた。ビデオメーカーを表現するとかいって文字のまわりにビデオテープそのものが、まるで土星の輪かメビウスの輪のように巡らされた変なデザインばかりだった。無論、皆没だった。

 

 

困った。安易に考えた自分が馬鹿だった。文字ロゴだけではインパクトがないのだ。そこで映画会社のマークを思い出す。すると、ライオンだの、サーチライトだの絵柄と組合わされたものが色々あるではないか。そうだ、絵柄と組み合わせて、レーベルの意味を出そう。

 

とはいっても未だに徒手空拳の自分である。自分ひとりでは如何ともしがたいので、玩具担当時代から宣伝活動でお世話になっていた広告代理店・読売広告社にお手伝いをいただいた。そして当時社内のクリエイティブでデザイン活動をされていた、吹谷さんというデザイナーのご紹介を受けレーベルマークのデザインをお願いした。

 

 

当初の氏からのデザインは象、鷲、熊などの動物、スフィンクス、ピラミッドなどの遺跡、自由の女神などの建築、彫刻等であった。しかし、どれも今一面白みにかける。そしてたとえ小さくても、白黒でも、きちんと訴求できる「顔」であって欲しい。

 

その時。自分は高校時代に見ていたあるNHKのドキュメンタリー番組を思い出した。NHK放送開始50周年記念番組として1974年に放送された「未来への遺産」である。その第5回「誰がどんな情念で」に登場したチリ・イースター島の巨石群像「モアイ」こそ、その顔にふさわしいのではないか?自分の脳裏にモアイが浮かんだ。

 

早速吹谷さんにモアイを使ってのレーベルマークデザインをお願いしたが、出来あがってきたデザインのモアイは1体だけだった。ぱっと見て自分は「孤独」を感じた。これは違う。「顔」は「ひとりの顔」ではなく「人々の顔」であって欲しい、そうお願いした。そこで大きさを変えた2体のモアイを遠近感が出るよう左右大きさを変えて配してもらった。すると今度は狙い目通りの雰囲気が出た。「人々の顔」だった。

 

「人々が作り出した感動を、多くの人々に伝えたい」「その要としての仕事を担うメーカーとしての顔、魂をあらわすマーク」。こうして基本モノクロデザインが出来た。

 

 

1982年のグループ合併後のバンダイのマークは通称「赤座布団」マークと言われる、四角い中に「BANDAI」のロゴが2段組みされ、「真紅と白」のコントラストが活かされたシンプルなマークだった。自分はこれと対象をなす雰囲気が欲しかった。「顔」を配しただけでもそれは出たが、さらに「四角」に対し「三角」でマークを括る、色も「紺と黄」のコントラストの方向でまとめることで、よりバンダイマークとの差を際だたせることにした。 

 

 

こうしてついにレーベルマークデザインは完成した。以後、1121日の第一回発売に向けて、作品の冒頭を飾るオープニングロゴの制作等々まだまだいろいろやるべき事は残されていたが、ともかく「旗」は完成した。「感激完璧」のコピーを体現する「EMOTION」の御旗である。

 

 

時に1983年の残暑のころであった。

 

 

2000113日初稿。2022730日一部改訂)

INTERVIEW インタビュー

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エモーション魂

語り:渡辺 繁
絵:大西 信之

バンダイビジュアルのレーベル「EMOTION」を作った男が、その軌跡と縁人を振り返る。世界初のOVA(オリジナル・ビデオ・アニメーション)『ダロス』、若きスタッフの結集した『王立宇宙軍 オネアミスの翼』などのアニメ作品の数々は、決して順風満帆に作られたわけではなかった。若き情熱溢れる映像ソフト産業の草創期からの話を月2回更新にて連載中。いつの時代になっても変わらない情熱。ここには確かなモノづくりのヒントがある。

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